リトル比良開発(情熱の登山道)

2016年9月6日 寄稿

今から54年前

リトル比良の登山道は、昭和37年~翌年にかけて高島町体育協会山岳部(高島市)の皆さんで作られました。
区間は「嶽山(岳山)」から寒風峠周辺までです。 詳しい作業記録は残っていませんが、作業は、ほぼ毎週日曜日に行われていたようです。
当然刈込み作業はナタや鋸が主役です。

リトル比良 登山道開発手記より

「昭和37年4月15日 作業(1962年)
高島町(現在の高島市)体育協会山岳部のリトル比良の第一回目の刈込み。
農繁期に入ったためか参加者が少なかった。 高島町駅(旧江若鉄道の駅、近江高島駅と同じ場所)8時集合が遅れ、出発は9時丁度、1時間遅れて嶽山に向かう。」「状況、音羽からの道は、美しいが元嶽山の観音堂(弁慶の切り岩のすぐ上にある、住居跡のようなところ)までである。
頂上への道は、お堂の左手、炭焼き釜の所より登る。
この釜の上で土砂が崩れ一寸わかり難くなっているが、すぐわかる。
二三年に(2,3年前に)刈込んだと思われる道が付いているが、やはり小枝を刈込んで行く必要がある。
時々台風にたおれた松の木があり、切りながら進むが、これだけの道にも、思っていたより多くの時間をかけなければならないとは思わなかった。
頂上に着いた時は、ちょうど12時。 約1時間30分余りついやしている。昼食は約1時間。
13時より作業にかかる。
頂上(岳山)より鳥越(オーム岩の岳山側にあるコル)までは手の加えられていない灌木林だが、道があったと思われる跡が残っている。
その跡をたどりながら刈込んで行くが時々その跡は消えており、求めながら進んでいく」

リトル比良 開発資料

開発資料は、私の父の遺品で手書きの地図が殆どです。
地図の記載内容は、登山道だけではなく、周辺の調査も含まれています。
そのことから登山道開拓だけにとどまらず、観光資源の調査も同時に行われていたことが読み取れます。


岩砂利山、ノ口谷調査地図

小田川周辺の調査地図

天狗岩山の調査地図

小田川上流の調査地図

鵜川部落所蔵文書写し

鵜川越~寒風峠の調査地図

岩砂利山周辺の調査地図

寒風峠の調査地図

嘉嶺ヶ岳周辺の調査地図

滝山周辺の調査地図

オーム岩周辺の調査地図

滝山周辺の調査地図

滝山周辺の調査地図

寒風峠周辺の調査地図

寒風峠周辺の調査地図

その道は情熱で出来ています

リトル比良に限らず、日本のほとんどの登山道は、大勢の人たちの”思い”で作ら
れ、維持されている事は間違いありません。

それは、何年たっても変わることはありません。
先人の知恵と努力に感謝いたします。 ありがとうございます。

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